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前進か死か フランス外人部隊物語

以下の経歴を持つ作家、柘植 久慶が自身の経験を元に書いたフランス外人部隊シリーズを紹介します。

1962年、アルジェリア戦争においてフランス外人部隊の格闘技教官(中尉待遇)として参加。

1965年、外資系商社に入社、市場調査等で海外を巡る。

1970年、ラオス王国政府軍格闘技教官(大尉待遇)となり対ゲリラ戦を指揮した。同年、沖縄でグリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊群)の訓練を受け、大尉待遇としてAチーム(小隊)を率い、インドシナ、ラオス等で極秘作戦に参加した


以下は、各巻の紹介です。

1945年8月、鷲見友之はヴェトナムの地で終戦を迎えた。帝国陸軍少尉として仏軍と闘った日々。故郷の家族を空襲で失った鷲見はヴェトナムでの永住を決め、知人の娘と結ばれて、新たな人生を歩み始めた。だが平穏な生活は続かなかった。ヴェトミンによる卑劣なテロが最愛の妻子の命を無惨に奪い去ったのだ。全てを亡くし鬼と化した鷲見は仏軍外人部隊に志願し、パルミエ中尉と名を変えてヴェトミンと闘う決意をする。血と硝煙と泥濘のディエンビエンフーで男が見たものは。

1959年、仏領アルジェリアは転換期を迎えようとしていた。ド=ゴールは民族自決政策を国連で訴え、三百万人におよぶ入植者を切り捨てる暴挙に出たのだ。今はフランス外人部隊に所属し、パルミエ大尉と名乗る鷲見友之はこの裏切り行為に立ち上がった。鷲見には仏領時代のインドシナでフランス政府に見捨てられ、泥濘と血と硝煙だけが支配するディエンビエンフーの大地に取り残された過去があるのだった。アルジェリアの地で、怒りに燃える男たちによるクーデターが勃発した。

フランス外人部隊の日本人傭兵・鷲見友之は、仏領アルジェリアで民族解放戦線と激しい戦闘を繰り広げていた。しかし、1959年になると、フランスのド=ゴール大統領は「アルジェリア人のアルジェリア」を唱え民族自決政策に転換し、三百万人に及ぶ入植者やアルジェリア駐在の軍を見捨てたのだ。この裏切り行為に、鷲見の所属する第1外人落下傘連隊をはじめとする外人部隊は、アルジェで蜂起するが、失敗に終わる。九死に一生を得た鷲見は復讐の鬼と化し、ド=ゴールの生命を標的に定めた。パリ潜入、暗殺、脱出―国家警察の戒厳をくぐり抜けることは出来るのか!?鷲見は今、動き始めた―。

復讐の鬼と化し、ド=ゴール暗殺を企てた日本人傭兵・鷲見友之はパリを脱出すると、次なる戦場に向かった。1年前―1960年にベルギーから独立したコンゴ共和国である。木材資源のみならず、金、ダイヤモンド、ウランなど地下資源も豊富な南部カタンガ州は、ペキンやモスクワの影響が強い中央政府からの分離独立を目指すが、国連からも支持されない。鷲見はそのカタンガ軍に参加し、作戦立案のみならず外国人部隊の編成、現地人兵士の訓練、武器調達にも手腕を発揮する。が、この戦いは、中国、ソ連の支援を受けた叛乱軍、そして国連軍をも相手にする過酷なものになる…。

インドシナ、アルジェリア、コンゴ、アンゴラ。そしてパリでのド=ゴール暗殺計画―。二十年にわたり数々の戦闘を経験した傭兵・鷲見友之は、既に四十六歳になった。そして最後の戦場として、再びインドシナへ向かう。1967年、ヴェトナム戦争の真っ直中である。アメリカ軍は北ヴェトナム爆撃の成果もあがらず苦戦していた。一方、民族解放戦線(ヴェトコン)は、ラオスを縦断するホーチミン・トレイルにより北ヴェトナムから兵員と物資の支援を受け、不利な状況に陥るとシアヌークのカンボジアへ逃れ、戦力を回復し出撃するという戦法であった。鷲見の任務は、敵の生命線といえるホーチミン・トレイルの破壊と、シアヌークの打倒だ。

エスペランサ少佐こと鷲見友之は、北ヴェトナム軍とヴェトコンの生命線とも言うべきホーチミン・トレイルへの空陸一体となった攻撃を実現し、ダメージを与えた。そして、いよいよ敵の「聖域」となっているカンボジアのシアヌーク国家元首打倒へと動き出す。しかしクーデターを成功させたあと樹立する親アメリカ政権が支持を得るためには、シアヌークの暗殺や監禁といった手段は避けるべきであった。一方、中国の支援を受けるポル・ポトー派の動きからも目が離せない。過酷な状況下でXデーはいつ!?傭兵・鷲見友之、最後の戦い。






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岩崎弥太郎と三菱四代

三菱の創始者の岩崎弥太郎は相当性格が悪かった人物のようです。

このことから本の著者は、「人格と栄達は全く無関係なようである。善人や悪人の別なく、天は大志を抱き続ける人物を引き上げる傾向が明確に見て取れる。これは断言しても良い。」と言い切っています。

弥太郎もまだ、十五歳で漢文や易学を学んでいたころ、三国志など歴史に興味を持ち、「将来自分は世の中に名を成す人物になるだろう。」と公言するようになります。同じころの坂本竜馬も「日本を洗濯する」とか、「天下国家のために行動する」などと公言しています。

しかし、弥太郎の性格も、他人の過ちを黙って見過ごすことができずに、ずけずけ物を言い、相手の落ち度を面と向かって非難してしまう頑固で意固地な父親譲りでした。

 父親が飲んだくれて庄屋にケチをつけてボコボコにされたとき、庄屋がしらばくれたので、親子で奉行所に訴えたが相手にされず、腹いせに奉行所の白壁に「役人は賄賂をもらっており、訴訟は愛憎で決定してる」と奉行所の悪口を書いてしまいました。奉行所も後ろめたいのか、一度目は白壁を上塗りして不問にしたのを、弥太郎はもう一度その白壁に同じ事を書いてしまって、今度は奉行所も怒って、弥太郎を牢屋にぶち込んでしまいました。

 しかし、そのとき牢屋に入ったことで他の囚人から簿記などの商売の基礎を学んだというのだから、人の人生なんて分からないものですね。

 やがて藩命で長崎に赴任したのですが、今度は遊郭に入れあげて100両もの公金を使い込み、結局その仕事は自ら辞めてしまい、借金をして弁済しておとがめなしに終わりました。

 その後、再び長崎に呼び戻された弥太郎は、藩命により、諸外国から武器や蒸気船を購入するしていたのですが、土佐藩には外国支払う資金が無いので、外国の駐在員を遊郭でハニートラップに仕掛けて、代金を後払いにして武器を調達下うえ、支払いの督促を受けると、払うといったら払うのだ、そんなに信用が無いなら、武器の契約を破棄して商品を全て返却するなど言って、諸外国の駐在員を唖然とさせるようなことは、性格が悪くないと出来ない芸当です。

そして、明治維新で、幕府や土佐藩が無くなったので藩は、今の会社で言う倒産状態となり、借金帳消しになり、土佐商会だけは岩崎が引き継いで、三菱を創設したのでした。


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ムーミン815

Author:ムーミン815
ようこそ、ムーミンブログヘ

1960年代生まれメタボ系です。ダイエットや精神健康のために腰振り体操、整体体操、気功をやってます。ブログでは、興味のある漫画や本をとりあげています。最近は環境問題に関しても書いています。図表の採用で問題がありましたらコメントください。削除いたします。

写真は20年以上前にボーイスカウトのリーダをやっていたときのものです。今より20kg以上痩せてました。

ヤフーの知恵袋で地球温暖化のカテゴリーマスターをしています。

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