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日中戦争はドイツが仕組んだ

ドイツは第一次大戦後武装解除され武器の生産や新規開発、ドイツ国防軍の訓練が出来ない状態になった。
一方、中国は辛亥革命を行い、清朝政府を倒したが、その後各地の軍閥が跋扈し国がまとまらず近代化できない状況になった。

そのような状況下でドイツから中国側へ、中国軍の軍備と兵制の近代化をドイツが行い、ドイツ国内で禁じられている飛行機、戦車、重砲などの兵器の生産と中国国内の戦略物質を見返りにドイツに無償で輸出すると言う提案がなされ、1933年から1934年にかけてドイツ首脳部と蒋介石との交渉があり、ドイツと中国の物質交換条約(クライン条約)の申し入れを了承した。

ドイツ軍事顧問団は、第一次大戦で経験した塹壕戦など近代戦の訓練を行い精鋭化し、新たに開発された高性能の機関銃とトーチカで要塞化を行った。

そして、盧溝橋事件で不拡大方針をとる日本に対して、挑発行為、暗殺テロ行為を繰り返し、ついには上海をまもる海軍陸戦隊に攻撃をしかけた。

1937年7月7日盧溝橋事件、8月9日に上海で、大山中尉、斉藤一等兵が中国保安隊に射殺され、8月13日には八字橋で中国軍が陸戦隊を攻撃した。

数ヶ月前に通州で日本人に対する数百人の虐殺があったことから、数万人の在留邦人を守るためについに、8月14日に日本から2個師団の派遣を決定した。派遣軍指令は松井岩根大将が任命された。8月23日に上陸を開始し第二次上海事変は始まった。

それまで軍閥中心の中国軍と戦っていた日本軍は、トーチカから最新鋭の機関銃で攻撃してくる中国軍の抵抗に苦戦した。
9月には、3個師団の増派を決定し、11月には第5軍が敵の背面に上陸したことから中国軍が敗走し、ようやく日本軍は上海を封鎖し3ヶ月に渡る第二次上海事変は終息し、上海の在留邦人を守る目的を達することができた。

これは、日露戦争の旅順攻防戦に匹敵する激戦であった。

同年(1937年昭和12年)12月1日には大本営による南京攻略が命令され、12月13日には首都南京を占領した。
しかし、国民党は降伏せず、日中戦争は泥沼に陥る。

上海事変

尚、第二次上海事変の戦死者は1万76名




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1960年代生まれメタボ系です。ダイエットや精神健康のために腰振り体操、整体体操、気功をやってます。ブログでは、興味のある漫画や本をとりあげています。最近は環境問題に関しても書いています。図表の採用で問題がありましたらコメントください。削除いたします。

写真は20年以上前にボーイスカウトのリーダをやっていたときのものです。今より20kg以上痩せてました。

ヤフーの知恵袋で地球温暖化のカテゴリーマスターをしています。

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